読谷村(4) シムクガマ

2008年3月26日(水)

シムクガマ

①今大戦で多くの住民が避難し1000人の命が助かったところ。
 シムクガマ
②沖縄戦前、日本軍は沖縄に幾つもの大きな飛行場を造らせた。はじめ、南方での敗退を巻き返そうと県民を巻き込んでの突貫工事であった。しかし、飛行場が完成すると作戦は「捨て石作戦」に代わり、日本兵は宜野湾や首里に集められ、飛行場は置き去りにされた。日本軍のいなくなった読谷では村民は山原に避難する者、村内のガマに隠れる者など大混乱となった。
 
救命洞窟の碑③4月1日、米軍の砲弾がシムクガマの近くで炸裂した。その砲弾で住民3名が犠牲となった。午後4時頃、米兵がガマの上や入り口に銃を構えてやってきた、ガ マの避難民はもう殺されると思い錯乱状態になった。
 
④この時、ハワイ返りの比嘉平治(72才)と比嘉平三(63才)の2人が米兵と対応した。
   米兵「英語が出来るか」「日本兵はいるか」、平三「いない」、米兵「住人はどのくらいいるか」、平三「約1000人」との会話が交わされた。二人は「アメリカーガヤ、チュヤクルサンシガ」と説得し、全員が捕虜となり、全員の命は助かった。