渡嘉敷島(2) 集団自決跡地

2008年3月26日(水)

米浜さん説明.JPG

青年の家敷地内に「第一玉砕場」の看板があり、ハブ防護壁のトビラを開けて案内された先には南国特有の真っ白い砂が敷かれた小さな敷地に「集団自決跡地」の石碑がある。左には二〇〇五年に渡嘉敷村の指定文化財となった史跡「集団自決跡地」の碑文がある。碑の後方はこんもりと繁った山へとつながる導線となって、やや下り勾配となっている。
五〇㍍~八〇㍍位行った所の谷(窪み)が「集団自決」の場所だとの事。途中まで下りてみたが、近寄り難い雰囲気を漂わせていた。
平和ガイドの米浜さんの話です。
軍(赤松部隊)から「北山に集まれ」との命令で幼い少女姉妹が父、母と集団自決の集団自決碑場所に来たとき、両親から手榴弾の火薬を飲んで死んでくれと手渡されが姉妹は生きていたい一心で「飲んだふり」「死んだふり」をしたそうです。我が子が死んだと思った母は「子供たちは死んだ、父さん、自分達も死のう」と言って亡くなったそうです。