不戦宣言碑
読谷村は、最初の米軍沖縄本島上陸地点となり一面焦土と化し、今日なお米軍基地がある。読谷村民は、第二次大戦・太平洋戦争で3700名余の尊い人命を失った。遺族らの心の痛みと生き残った人々の教訓として、今後、二度と再び戦争を起こさない、起こさせないとの決意を表明する。日本国憲法の平和主義と、非核三原則の遵守を訴え、沖縄戦終結50周年にあたり、平和を希求する3万8千余の村民意思として不戦の誓いを宣言した。
S19年 村人口 約15000人
S20年 5000人
3700人は約25%
<不戦の誓い>
人間の未来は常に明るいものでなければならない
それは全ての人類の共存、共生、協調の時代
核の脅威からの解放は人間性の解放につながり
大自然と調和する人間の営みは、明日への活力を生む
沖縄の心、それは武器なき社会であり
武力によらず、人間相互の信頼と
文化文物の交易によって生きてきた
我々は国家のために次また次へと
沖縄を犠牲にすることを拒む
決して攻撃せず、決して侵略せず
子らを再び戦場へ送らない
人間の未来は常に生命が大事にされなければならない
戦場で、惨禍に見舞われた人々に明日はなかった
降り注ぐ砲弾の雨のなか逃げまどう人々の恐怖
生きることへの希望の芽は踏みつぶされ
その狂暴は深く心に刻まれた そのことを忘れない
巡りきた沖縄戦終結50周年を機会に
戦争による3700名余の死者への弔いと
沖縄戦から学んだ教訓、それは非戦の誓いであり
ここに、あらためて恒久の平和を願い不戦を誓う
1995年3月30日
沖縄県読谷村
沖縄県読谷村議会