読谷村(1) 平和ガイド 伊佐眞政さん

2008年3月26日(水)

平和ガイド 伊佐さん2日目が今回の旅の中では最もハードな日程だったといえるでしょう。

まずは、読谷村。ここでの平和ガイドをお願いした伊佐眞政さんは元高校の先生。この日のために、手製の非常に詳しい資料をご自分で用意されてました。もう~、みんなびっくりするほどのクォリティー。大感謝です。

以後、読谷村パートでは、伊佐さんの書かれたテキストをほぼ全文引用させていただきます。


(ここから引用)

 <読谷村>

①、沖縄本島中部の西側半島状にふくらむ所に位置する。人口3万8千余。年々人口が  増えている。村内の学校は県立高校1校、村立中学校2校、村立小学校5校。
 
②、琉球王朝時代は「大北」(ウフニシ)と呼ばれた。戦前は読谷山(ユンタンザ)と  いった。今は、読谷村(ヨミタンソン)という。
 
③、読谷村は沖縄戦でいち早く米軍が上陸した地点である。日本軍が放棄した北飛行場  を占拠し、村全体が占領された。多くの村民は北部の山原に避難した。戦後になり、  必要なところは米軍が優先的に基地を作り、村はズタズタにされた。その結果、元  の集落に戻れず、他の字地に住まざるを得なくなった。
   1972年復帰時に米軍基地は73%あったが、戦後61年、熾烈な闘いの結果やっと、  飛行場跡地が帰り、軍用地は36%になった。
 
④文化村、平和村で知られる。
   文化:村祭り、エイサー、琉舞、三線、古典音楽、ヤチムン、花織等
   平和:戦争体験に基づく平和思想が根強い。戦後は反基地・権利回復の戦い。
 
⑤産業としては農業、水産業、商業があり、軍雇用、公務員、建築業が多い。
   農作物は紅芋、サトウキビ、メロン、電照菊等
 
⑥読谷村の目標・
   基本理念  「恒久平和、自主自立、共生持続」
                                            はな        みあてぃ
   あるべき姿 「ゆたさある風水 優る肝心 咲ち誇る文化や 村の指針」